logo 宇津木妙子

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講師名 宇津木妙子(ウツギタエコ)
肩書き 元女子ソフトボール日本代表監督、ビックカメラ女子ソフトボール高崎 シニアアドバイザー  東京国際大学女子ソフトボール部 総監督
生 年 1953年
出身地 埼玉県
講演ジャンル ソフトボール、人生、夢、挑戦、人材育成、組織論、      モチベーションアップ、チームワーク
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◎演 題

講演では、全日本女子ソフトボールチームの監督として導いた経験から、選手を闘う集団に育てる指導術、チーム作り、個性溢れる人材を統率するためのチームワーク論、夢への挑戦などについてお話いたします。。 ◆「夢の実現 ~努力は裏切らない~」  本番で成功するためには、「これでもか!」というほど練習に練習を重ねることでようやく自信になる。 監督名物“速射砲ノック”= 選手との対話である。 ◆「夢と人生~何事にも真正面から向き合うこころ~」 より良いチーム(組織)を作るために、選手(子ども、部下)に対して、何事にも真剣に真正面から向き合う(話す)ことが大切。中途半端な気持ちで話すことでは間違いなく相手には伝わらない。指導者としての責任の取り方とは? ◆「より良いチーム(組織)を作るために」 ◆「チームビルディング ~“人財”を育て、自分が育つ~」

◎経 歴

1953年埼玉県生まれ。川島中学校1年時からソフトボールを始める。 星野女子高等学校を経てリーグ1部のユニチカ垂井に所属し、1974年 世界選手権出場。1985年に現役引退後、ジュニア日本代表コーチを 経て日立高崎の監督に就任。当時3部だったチームを1部で優勝する までのチームに育て上げた。 1997年に日本代表監督に就任、2000年シドニー五輪銀メダル。 2004年アテネ五輪銅メダル。2004年9月、日本代表監督を退任。 その功績が讃えられ、日本人初、指導者としてISF(国際ソフトボール連盟) の殿堂入りを果たした。2011年にNPO法人ソフトボール・ドリームを設立。 現在は後進の育成や競技の普及に尽力している。 ■経歴 1966年 川島中学校にてソフトボールを始め 1969年 星野女子高等学校(現・星野高等学校)入学 1972年 ユニチカ垂井(岐阜県)入社 (14年間プレーし国内優勝も多数) 1974年 世界選手権出場  ※現役引退後、ジュニア日本代表コーチ就任 1986年 日立高崎(現:ルネサス高崎)へ監督として招かれる      2002年までの16年間、全日本総合4回・日本リーグ1部4回他 優勝多数 1990年 全日本監督として、世界選手権・アジア大会(銀メダル) 1996年 アトランタオリンピックコーチ(4位) 1997年 全日本代表監督就任1998年  世界選手権(3位)・アジア大会(準優勝) 2000年 シドニーオリンピック(銀メダル) 2002年 世界選手権・アジア大会(銀メダル) 2003年 ルネサス高崎総監督に就任 2004年 アテネオリンピック(銅メダル)  ※大会後、全日本監督を辞任 2005年 ISF(国際ソフトボール連盟)殿堂入り 2008年 解説者として北京オリンピックでともに戦う(金メダル) 2009年 ルネサステクノロジ(現・ルネサスエレクトロニクス)高崎事業所シニアアドバイザー就任 2010年 東京国際大学女子ソフトボール部総監督に就任 2011年 NPO法人ソフトボール・ドリーム設立 2014年 世界野球ソフトボール連盟理事に就任 2015年 ビックカメラ女子ソフトボール高崎シニアアドバイザーに就任

◎宇津木妙子の著書

「宇津木魂 女子ソフトはなぜ金メダルが獲れたのか」(文藝春秋) 「いちばんわかりやすいソフトボール入門」(大泉書店) 「金メダルへの挑戦! シドニーからアテネ、そして北京へ」(学陽書房) 等
※ランクB(A50万円まで、B100万円まで、C101万円以上、Dご相談、交通費滞在費等別)

Special Contents 特集:往年の名選手・指導者の講演

  • 萩野公介

    競泳金メダリスト

    「⾦メダルに繋がった⽬標設定」

  • 瀬古利彦

    「心で走る~復活の軌跡~」

    「心で走る~復活の軌跡~」

  • 内田順三

    元読売巨人・広島カープ2軍監督・野球評論家・野球指導者

    「打てる、伸びる!逆転の育成法 : 「脱・常識」の打撃開花術&心のケア・名選手成長秘話」

  • 攝津正

    元プロ野球選手 、スポーツコメンテーター

    『「努力の天才」で球界を代表する投手に~モチベーションと目標設定、実現のさせ方~』