攝津正
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◎演 題
◆ 『「努力の天才」で球界を代表する投手に~モチベーションと目標設定、実現のさせ方~』
ソフトバンクホークスのエースとして沢村賞、WBC日本代表など球界を代表する数々の実績を上げた攝津正。だが、決して「エリート」、「天才型」ではなく、工夫して考え抜いた地道な努力からそこに上り詰めた。
「30歳になったら社員で働こうと思っていた」と言うJR東日本時代は何度もドラフト会議で指名を見送られ、結局プロ入りしたのは26歳と遅咲き。しかし、入団一年目から12球団随一の選手層の厚さのソフトバンクの中において中継ぎとして「勝利の方程式」の一員として活躍、最優秀中継ぎ賞も獲得。その後、先発転向後も沢村賞に輝き、WBC日本代表にも選ばれ球界を代表する投手に成長した。その後、決して恵まれた体格、才能ではない
子供の頃から決して「天才型」、「エリート」ではなかった自身が、どのように目標設定やアプローチ、工夫をしたのか、「努力の天才」になる方法をお伝えします。
◎経 歴
1982年生まれ。宮城県仙台市、埼玉県さいたま市を経て、秋田県秋田市へ。秋田経法大附属高校(現:ノースアジア大明桜)ではエースとして3年春のセンバツに出場。高校卒業後、JR東日本東北へ進み8年間プレー。2008年度のプロ野球ドラフト会議で、福岡ソフトバンクホークスから5位で指名を受け入団。
ルーキーイヤーの2009年は開幕一軍を勝ち取り、5月8日の対西武ライオンズ戦でプロ初勝利。ファルケンボーグ、馬原とともに勝利の方程式「SBM」の一角を担った。オールスターにも選出された。リーグ最多の70試合登板、39ホールドで最優秀中継ぎ投手と新人王の2つのタイトルを獲得。
2010年も勝利の方程式の一角を担い、71試合に登板。稲尾和久氏以来の2年連続70試合登板を達成。
2011年から先発に転向。一年を通じてローテーションで投げ抜き14勝を挙げてリーグ優勝に貢献。クライマックスステージ、日本シリーズでも先発し勝利投手となり、日本一にも貢献した。
2012年は自身初の開幕投手に。開幕戦で勝利すると、エースとして先発ローテーションの中心を担った。両リーグ最多の17勝を挙げ、最多勝、最高勝率、沢村賞のタイトルを獲得。
ルーキーイヤーに獲得した最優秀中継ぎ投手と、沢村賞を獲得した史上初の投手となった。(現在も唯一の記録となっている)
2013年はWBC日本代表に選出。1次ラウンド、2次ラウンド、準決勝とそれぞれ中継ぎで登板し存在感を発揮した。その後開幕したシーズンでは、2年連続の開幕投手に。シーズン15勝を挙げた。
2014年は、球団史上初となる3年連続の開幕投手を務め、シーズン10勝。翌年2015年も開幕投手で、シーズンでは10勝を挙げ5年連続2桁勝利も記録した。
2016年も5年連続となる開幕投手を務めたが、以降、状態が上がらず2勝にとどまる。2017年は未勝利に終わり、2010年以来の中継ぎ登板も経験するなど、苦しいシーズンを過ごした。2018年は先発で勝利を挙げるなど復活が期待されたが、オフに自由契約となり、引退を決断。
プロ通算10年で282試合に登板し、79勝49敗1セーブ73ホールド、防御率2.98という成績を残した。
現在は、プロ野球解説者としてプロ野球中継やスポーツ番組に出演。そのほか、趣味である釣りのラジオ番組を持つなど、解説者以外にも多方面で活躍。野球教室や講演などを通じて、多くの方々に野球の素晴らしさを伝える活動展開中。
普段は、2人の子どもを持つ父親として子育てに奮闘中。保育園の送り迎えをはじめ、家族で過ごす時間を大切にしながら日々を過ごしている。
【プロ野球選手時代の戦績】
・プロ通算282試合 79勝49敗 1セーブ 73ホールド 防御率2.98
・2009年 パリーグ新人王、最優秀中継ぎ投手、最多ホールド
・2010年 パリーグ最優秀中継ぎ投手
・2012年 最優秀投手、沢村賞、最多勝
・2013年WBC日本代表
・5年連続開幕投手(2012年〜2016年)
・リーグ優勝5回(2010,2011,2014,2015,2017年)
・日本一5回(2011,2014,2015,2017,2018年)
◎攝津正の著書
※ランクB(A50万円まで、B100万円まで、C101万円以上、Dご相談、交通費滞在費等別)