内田忠男
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◎演 題
「今後の世界における日本の役割」
「特区構想がもたらすイノベーションとは何か」
「世界の中で日本はどういきるべきか」
「日本の行方~どうなる政治、経済、国際関係~」
「グローバル化時代の国際社会と日本」
「世界の経済動向とこれからの日本経済のあり方」
「国際ジャーナリストから見た日本経済・世界経済」
◎経 歴
1939年(昭和14年)6月9日、マニラ市(当時米領フィリピン群島)に生まれる。日米開戦直前に日本に引き揚げ、幼時を神奈川県葉山町で、小学5年以降は東京で育つ。東京教育大学(現筑波大)付属中学、高校を経て、1962年3月、慶應義塾大学経済学部卒業。同年、読売新聞社入社。入社直後の福島支局在勤中は、殺人事件の犯人を自力で突き止め、支局に連れ帰ったことも。東京本社(1964年:運動部、1966年:社会部、1975年:外報部)では、東京オリンピック、日本万国博、札幌冬季オリンピックという戦後日本の3大ナショナル・プロジェクトや、国際ガン学会、ビートルズ東京公演などを取材する傍ら、欠陥車、公害、消費者問題などキャンペーン性の濃い調査報道に従事。また韓国(日航機よど号ハイジャック事件)、欧州各国(第1回国連人間環境会議=ストックホルム=や過激派のハイジャック事件など)、米国(第1次オイルショックの反応等)などで短期特派員。創設時の日本記者クラブ、メンバー。社会部での最後の仕事は、エリザベス英女王訪日の取材班キャップ、女王陛下と握手する光栄に浴す。
1975年9月からロサンゼルス特派員。モントリオール・オリンピック、ロッキード事件、世界初の火星着陸探査(Viking計画)などを取材する一方、活性化した日本企業の対米進出など経済現象を注視。
1978年、同社を退社。U.S.-Japan Business News社(ロサンゼルス)の副社長・編集主幹を務めながら文筆評論活動に従事。ローカルの日本語TVにも出演。この間California State University,Long BeachでVisiting Lecturer(客員講師)。
1980年10月からテレビ朝日系の報道番組<ビッグニュースショー、いま世界は>のニューヨーク側キャスターを委嘱されニューヨークに転居。引き続き1988年9月まで<TVスクープ><ニュースステーション>のニューヨーク駐在キャスター。この間、ヘンリー・キッシンジャー博士をはじめ各国の要人多数と単独会見。また、戒厳令下のポーランドでラコフスキ副首相やワレサ連帯議長との単独会見にも成功。1981年のポーランド取材では『東西対立構造崩壊の萌芽を見た』とリポート。なお、1985年に前記U.S.-Japan Business News社を退社。
1988年9月、日本に帰国。
同年10月から同局系<内田忠男モーニングショー>のメイン・キャスター。
1991年4月からは同局系ネットワークニュース<ステーションEYE>のメイン・キャスター。この間、定時番組のほかに「冷戦終結」「湾岸戦争」「リクルート事件」「昭和天皇の崩御」「葬儀」「皇太子殿下の婚約」など数多くの報道特別番組のメイン・キャスターもつとめる。日本外国特派員協会会員。
1993年5月からは再びニューヨークに駐在、同局の国際問題専任キャスターとして世界各地にも足を伸ばしながら活動。
1999年10月からはテレビ朝日の米国法人テレビ朝日アメリカの取締役に就任。
2001.9.11同時多発テロの報道ではテレビ朝日社長特別賞受賞。
2003年3月同取締役退任。
2004年3月テレビ朝日との出演契約終了、フリーとなる。
2005年度・2006年度、山梨県立大学客員教授。(国際関係論、平和と安全保障)。
2006年4月名古屋外国語大学現代国際学部教授に就任。(国際関係論、現代アメリカ論、国際経済速報など)
2010年4月名古屋外国語大学・大学院客員教授。
傍ら、名古屋テレビ、東海テレビ、岐阜放送、中京テレビ、毎日放送などに出演、雑誌、新聞などへの寄稿執筆も続けながら、講演多数。
◎内田忠男の著書
※その他(A50万円まで、B100万円まで、C101万円以上、Dご相談、交通費滞在費等別)