都築幹彦
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◎演 題
【 講演テーマ 】
「経営環境の変化にどう対応するか」
「お客(市民)の立場に立って考えよう」
「常に問題意識を持って発想の転換を」
「どん底から始まった改革」
「不況時のいま、経営者の役割は何か」
「信頼こそ商品である」
「新規事業、成功と失敗の要因」
「危機と成長」
「不況の時こそ、チャンス」
「潰れる会社、生き残っていく会社」
「革新のための規制との戦い」
「常識ほど当てにならないものはない」
「新しい需要創造とビジネスチャンス」
「発想の転換で組織を変える」
*副題として(~宅急便で学んだこと~)(~クロネコヤマトの実践から~)
【最近の講演内容の柱】
◇社会環境の変化に対して対応していない会社が意外にも多い
◇発想の転換は「常識」を取り除くことから始まる
◇企業側の理論ではなく、顧客の理論を優先する
◇顧客や従業員から信頼されていない企業は潰れる
◇会社の成長は、第一線の社員が生き甲斐、働き甲斐、感動を持って仕事ができているかどうかにかかっている 。
◎経 歴
昭和25年にヤマト運輸株式会社入社。運輸畑一筋を歩み、支店長等を経て昭和48年に取締役就任。以後、常務取締役、常務取締役関東支社長、常務取締役開発本部長、常務取締役営業本部長、代表取締役専務取締役を歴任。昭和62年に三代目の社長に就任。平成3年に代表取締役会長となり、その後も取締役相談役を務め平成7年に退任。その間には東京路線トラック協会会長などを歴任。退任後は平成20年度までヤマト運輸社友会会長を務めた。
二代目・小倉社長の右腕として常務時代の昭和51年に、反対する労働組合を説得し、当時の業界常識を破った国内初の「クロネコヤマトの宅急便」を開始した。厚い壁であった許認可問題等で、当時の運輸省・郵政省・警察庁と折衝しながら規制と戦い、15年掛けて遂に47都道府県の免許を取得することによって全国翌日配達のネットワークシステムの基を作り上げた。宅急便の取り扱い数量はゼロから始まったが、国営の郵便小包より信頼される宅急便を目指した結果、平成22年度には12億個を超え、ゆうパック・ペリカン便を大きく引き離して業界トップの位置を占めている。常にお客様の立場に立ったサービスを考え続け、ゴルフ宅急便・スキー宅急便・クール宅急便・コレクトサービスなど時代のニーズに合った企画を次々に投入した。平成2年に大ヒットしたアニメ映画「魔女の宅急便」の製作も手掛けた。趣味はマジックで、東京アマチュア・マジッシャンズクラブの第17代会長。また、往年の大喜劇役者であるエノケンこと榎本健一の甥にあたる。これからの経営のあり方について、豊かな経営実践に基づき失敗談を含めながらのユーモア溢れる講演を行っている。
◎都築幹彦の著書
※その他(A50万円まで、B100万円まで、C101万円以上、Dご相談、交通費滞在費等別)