野村忠宏
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◎演 題
「折れない心」
「夢を持ち続ける そしてあきらめないこと」
五輪柔道史上、前人未到の三連覇を成し遂げ、「天才」といわれる野村。また、祖父、父ともに柔道家、叔父はミュンヘン五輪柔道金メダリストという柔道一家に育った野村。しかし、それまでの道のりは決して順調だったわけではありません。身体が小さく、中学生の頃は女子に負けたこともある。 3歳から柔道を始め、ようやく奈良県大会で初優勝できたのは高校3年生の頃。 なかなか勝てなくても努力を続けてこられたのはなぜか。
野村が成長を遂げた大学時代、監督から教えられた強くなるために本当に必要なこととは何か。
試合前には不安と恐怖でほとんど眠れなくなるほど、実はかなり臆病であるという野村。どのようにプレッシャーと闘い、大舞台で勝つことができたのか。
五輪二連覇後、一度柔道を離れるが、三連覇に向けて再始動。しかし、ブランクの代償は大きく、全く勝てない日々が続く。あの時辞めればよかったのに…という罵声を浴びせられるどん底の状況から這い上がり、五輪三連覇の偉業を達成できたのはなぜか。
さらに北京での四連覇を目指す中、右ひざの靭帯断裂という選手生命をも脅かす大きなケガを負う。試練を乗り越え、北京、そしてロンドン五輪出場に向けてモチベーションを保ち続けられたのはなぜか。北京、ロンドン五輪出場は叶わなかったが、40歳まで現役として挑戦し続けた理由とは。
あらゆる年代の人にも通じる目標に向かって努力することの大切さ、挫折を乗り越える方法などをお話させていただきます。
◎経 歴
祖父は柔道場「豊徳館」館長、父は天理高校柔道部元監督、叔父はミュンヘンオリンピック軽中量級金メダリスト、という柔道一家に育つ。天理大学、奈良教育大学大学院を経てミキハウスへ。アトランタオリンピック、シドニーオリンピックで2連覇を達成。その後、アメリカへ留学。2年のブランクを経てアテネオリンピック代表権を獲得し、2004年アテネオリンピックで柔道史上初、また全競技を通じてアジア人初となるオリンピック3連覇を達成する。その後、たび重なる怪我と闘いながらも、さらなる高みを目指して現役を続行。2015年8月29日、全日本実業柔道個人選手権大会を最後に、40歳で現役を引退。国内外にて、柔道の普及活動を展開。〈オフィシャルサイト〉
www.nomuratadahiro.jp
【 主な戦績 】
1995年 全日本学生体重別選手権大会 優勝
ドイツ国際柔道大会 優勝
1996年 チェコ国際柔道大会 優勝
全日本選抜柔道体重別選手権大会 優勝
アトランタオリンピック 優勝
嘉納杯国際柔道大会 優勝
1997年 ロシア国際柔道大会 優勝
全日本選抜柔道体重別選手権大会 優勝
世界選手権大会(パリ) 優勝
1998年 全日本選抜柔道体重別選手権大会 2位
1999年 講道館杯日本体重別選手権大会 優勝
2000年 フランス国際柔道大会 優勝
全日本選抜柔道体重別選手権大会 優勝
シドニーオリンピック 優勝
2003年4月 全日本選抜柔道体重別選手権大会 優勝
2003年7月 トレトリ国際柔道大会 優勝
2003年9月 世界選手権(大阪) 3位
2004年2月 フランス国際柔道大会 優勝
2004年4月 全日本選抜柔道体重別選手権大会 優勝 …アテネ五輪代表決定
2004年8月 アテネオリンピック 優勝 前人未到三連覇 達成
2006年3月 チェコ国際柔道大会 優勝
2007年1月 ドイツ国際柔道大会 3位
2007年4月 全日本選抜柔道体重別選手権大会 優勝 …6度目
2008年2月 ドイツ国際柔道大会 2位
2010年7月 ワールドカップ(モンゴル・ウランバートル) 2位
2013年3月 SWISS JUDO OPEN 優勝
【 学 歴 】
・天理大学卒業
・奈良教育大学大学院教育学研究科修了
・弘前大学大学院医学研究科修了・医学博士号取得
【 主な表彰 】
1996年 奈良県民栄誉賞
JOCスポーツ賞 優秀賞
2000年 銀杯一組(菊紋)
JOCスポーツ賞 特別栄誉賞
2004年 紫綬褒章
文部科学大臣顕彰・特別表彰
大阪府知事賞詞、大阪スポーツ大賞
奈良県知事表彰・奈良県議会表彰
天理市民栄誉賞
2005年 全日本実業柔道連盟功労賞
その他各種スポーツ賞等の受賞多数
◎野村忠宏の著書
※その他(A50万円まで、B100万円まで、C101万円以上、Dご相談、交通費滞在費等別)