永田克彦
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◎演 題
「“挑戦し続ける”その強さ、そのポジティブマインドを持ち続ける秘訣」
「レスリング、格闘技を通じて学んだ「困難があってもくじけず乗り越える強さ」」
「セカンドキャリア『格闘技ジム』立ち上げで学んだコミュニケーション術」
その他、レスリング教室など。
【講演概要】
●高校時代、全国大会に出場できなかった永田克彦が、日本一強いと言われていた日体大のレスリングの門を叩いた理由とは?
●そしてその後、どういう道のりで大学チャンピオンまで登り詰め、オリンピックでメダルを取れる選手になったのか?
●何事も『勝つ』にも『負ける』にも理由がある、大学入学当時は無名だった永田克彦が頂点まで上り詰める原動力となった『自己分析』
●もともと有名選手でなかったことが現在の経営者としての立場でも活かされている『徹底された研究力』
●2020年オリンピックに向け、大学レスリング部監督という立場から見た『人材教育』そして永田克彦の新たな挑戦
◎経 歴
1968年4月24日 千葉県東金市出身。
小学5年の時、テレビでロス五輪を見て衝撃を受け、レスリングを志すが、近くにクラブがないため中学まで野球を続ける。
高校時代よりアマレスに没頭。日本体育大学在学中は全日本学生選手権(1988年)および全日本大学グレコローマン選手権(1989年)で優勝を果たした。
その後、1992年3月新日本プロレスに入門。
1990年代後半のプロレスブームまっただ中に武藤敬司、長州力などの付き人を経験しながらヤングライオン杯(若手選手によるトーナメント)準優勝を経て米国アトランタに武者修行を一年半経験し、帰国後の2002年夏のビッグイベントG1クライマックスにて初優勝。
その後は新日本プロレスの至宝として創始者のアントニオ猪木氏が発案したIWGPチャンピオンを二度戴冠。その後は総合格闘技ブームの象徴であったK1やプライドのリングの波にのまれながらも幾度となく這い上がる。
他団体へのゲスト参戦も数多く、40歳を超えてから全日本プロレスのチャンピオンカーニバルトーナメント初出場にて初優勝や植田朝日氏主宰のコラソンプロレスの常連エースとして参戦するなど活躍も多岐に渡る。
詳しい戦歴などについては新日本プロレス選手名鑑サイト及び、ウィキペディア等でご参照されたし。
2006年、妻の智枝子とともに株式会社ナガタロックを立ち上げ、自主興行、周年記念イベント、リラクゼーションサロン エニシングの運営、オリジナルグッズの企画販売などを始める。
自主興行はこれまで地元の東金市や後楽園ホールで合計4回の成功を数える。
2012年プロレスラーデビュー20周年を迎え、16歳の時から格闘技人生を歩んで2014年で30年となる。
アンチエイジングを掲げ、40歳を超えても尚、グッドコンディションを保つこととプロレスを愛する気持ちを両立させ今後も更なるレスラー人生に磨きをかけていく。
◎永田克彦の著書
※ランクA(A50万円まで、B100万円まで、C101万円以上、Dご相談、交通費滞在費等別)