林昌範
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◎演 題
「エリートに負けない思考法」
ドラフト7位と下位指名で常勝軍団の巨人に入団。
工藤公康投手、桑田真澄投手、上原浩治投手…2年目の春季キャンプのブルペンで超一流投手たちの投球を見て自信喪失しました。
ある球団関係者からは「辞めても家業の教習所を継げるからいいよな」と声を掛けられました。
そんな私が選手層の日本一厚い球団でなぜ1軍の戦力になれたのか。その秘訣は恩師の助言で自分の武器を磨き続けた心の強さだったと思います。
「ストレスを乗り越える心の整え方」
プロ野球人生の大半の期間、救援が仕事場でした。いつ登板するかわからず、絶体絶命のピンチでマウンドに上がって抑えたこともあれば、手痛い痛打を浴びて敗戦も経験しました。
たった1球の失投で黒星を喫したショックは大きいです。でも、また次の日に試合があるために気持ちを切り替えなければいけません。
タフな役割でストレスとどう向き合ったのか。救援で投げ続けられた一因に、巨人で女房役だった阿部慎之助さん、日本ハム時代に同僚だった稲葉篤紀さんの金言がありました。皆さんも様々な重圧を抱えながら生活していると思います。
私の講演でストレスを乗り越える参考になればこの上ない喜びです。
「新たな環境で適応するために必要なこととは」
現役時代は巨人、日本ハム、DeNAと3球団を渡り歩き、現在はセカンドキャリアで船橋中央自動車学校に勤めています。
巨人から日本ハムに移籍した際は、救援の柱として期待された重圧に押しつぶれそうになりました。
優勝から長く遠ざかっているDeNAでは勝利やチームワークの重要性を伝えるために若手にどのように助言するのか頭を悩ませました。
いきついたのは「感謝と謙虚な心」でした。年齢関係なく、周囲に感謝の気持ちを持つことで自分も多くのことを学べます。
過去の思い出を美化し、現状の環境に不満を抱く姿勢では成長しません。謙虚な心はセカンドキャリアにも生きています。
教習所では教官に敬意を払って1対1のコミュニケーションを重視することを心がけ、自分から積極的に話しかけています。
私は1日、1週間、1か月、1年と目標を作って挑戦することを心がけています。
成功体験だけでなく、失敗から学んだ私の経験談をお伝えします。
「目標達成するために必要なこと」
読売ジャイアンツにドラフト7巡目で入団し、一軍に定着するまでに時間を要しました。その後も故障等がありました。その経験から目標を達成するためには、ライバルの分析、故障しないための努力、聞く耳を持つこと等の自分なりの創意工夫したことがあります。逆境をバネに取り組んだ経験談をお話します。
「プロ野球の一流選手から学んだこと」
現役時代に巨人、日本ハム、横浜DeNAで、原辰徳監督を含めて4人の監督の元でプレーし、巨人では工藤公康さん、桑田真澄さん、上原浩治さんなど、一流選手の共に汗を流しました。プロ野球の世界で活躍する選手には必ず共通することがあります。一流選手がなぜ活躍出来ているのかを、私自身の分析した目線でお伝えします。
◎経 歴
1983年8月6日、千葉県船橋市生まれ。小学2年から野球を始める。
1999年 船橋市立船橋高校に入学。2年時から大型左腕でスカウトの注目集める
2001年 読売ジャイアンツにドラフト7位で入団。
2003年 8月14日の中日戦でプロ初勝利をマーク。
2005年 救援に転向し、シーズン中盤には抑えに。2勝18セーブ、防御率1.61の好成績を残す。
2006年 自己最多の62試合登板で4勝20ホールドと奮闘する
2007年 オールスターに初出場
2009年 北海道日本ハムファイターズにトレード移籍し、リーグ優勝に貢献。
2012年 横浜DeNAベイスターズに移籍。
2014年 6月21日の西武戦で全球団勝利を達成。
2017年 現役引退
2018年 家業の船橋中央自動車学校で営業部長に。野球解説者で活動も開始。
市立船橋高から01年ドラフト7巡目で巨人に入団。03年8月14日の中日戦でプロ初勝利をマーク。
05年から救援に配置転換され、06年に自身最多の62試合に登板するなど主に救援で活躍した。
08年オフにトレードで日本ハムへ移籍し、09年に46試合登板とセットアッパーでリーグ優勝に貢献。11年限りで退団し、12年からDeNAに加入。
14年に全球団勝利を達成した。2017年限りで現役引退。現在は地元・千葉の船橋中央自動車学校で営業部長として勤務する傍ら、プロ野球解説者としても活動している。
◎林昌範の著書
※その他(A50万円まで、B100万円まで、C101万円以上、Dご相談、交通費滞在費等別)