logo 山﨑武司

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講師名 山﨑武司(ヤマサキタケシ)
肩書き 元プロ野球選手、スポーツコメンテーター
生 年 1968年
出身地 愛知県知多市
講演ジャンル 野球、人生、夢、挑戦、モチベーションアップ、セルフマネジメント、コミュニケーション
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◎演 題

「若者よ”欲”に忠実に野心を持て!!」 昨今、メディアなどでよく「現代の若者は欲がない」などと見聞きする事が増えました。しかし、山﨑武司が27年間のプロ野球生活の中で感じた伸びる選手の条件の一つが「欲」に貪欲なこと。「スター選手になりたい」、「美味しい物が食べたい」、「お金を稼ぎたい」、「モテたい」、「かっこいい車に乗りたい」など人によって様々な欲求がありますが、それを目標に頑張る事で結果として自分自身への成長に繋がります。 もちろん、山﨑武司本人もそのようにして夢を叶えてきた一人です。 現代、安定志向と言われている若者にも、そんなギラギラした野心を持って欲しい!という思いを山﨑武司流の言葉で語ります。 「3度のクビから現役27年~星野監督や野村監督と出会って~」 高校卒業と共にプロ野球界の扉をくぐった山﨑武司は27年間の現役生活で3度の戦力外通告を受けています。 中日ドラゴンズ、オリックス・ブルーウェーブ、楽天イーグルスと3球団に所属、名将星野仙一監督や野村克也監督の下、2度のホームラン王に輝くなどプロ野球の歴史に残る記録も数々樹立。 特に、野村克也監督との出会いで野球観が大きく変わり11年ぶりのホームラン王を獲得。「19年間、何も考えず本能のままに野球をしてきた」と語る山﨑武司が、腐りかけていた自分から生まれ変わる事が出来たエピソードは同世代の社会人に向けたエールになる事間違いなし。 挫折や屈辱を乗り越えて来た体験談を余すことなく語ります。 「人脈こそが最大の財産~山﨑流コミュニケーション法~」 27年間のプロ野球選手生活の中で、多くの出会いがありました。 3つの球団に所属して11人の監督と出会いました。もちろん、各チームの選手陣に裏方スタッフ、各地で応援してくれたファンや友人、縁の下の力持ちとして支え続けてくれた家族など、本当に多くの人に支えられてきました。 2013年シーズン終了と共に引退、野球評論家としてセカンドキャリアに突入するとさらに人との繋がりの大切さを実感しました。 更に、新たな出会い・ご縁を頂き2014年からはモータースポーツにも挑戦。 良い時も悪い時も常に実感してきた「人との繋がり(人脈)」の大切さ。 今だから言える秘話も交えて、山﨑流のコミュニケーション法を語ります。

◎経 歴

1968年生まれ。愛知県知多市出身。 1984年 愛知工業大学名電高等学校に入学 1987年 ドラフト2位で中日ドラゴンズに入団 2002年 オリックス・ブルーウェーブに移籍 2005年 50年ぶりにプロ野球界に新規参入した東北楽天の創設メンバーとして加入 2011年 東北楽天から戦力外通告を受ける 2012年 10年ぶりに古巣・中日ドラゴンズへ復帰 2013年 7月に引退を発表、シーズン終了と共に現役を引退 中学時代の野球部では県大会止まりの成績だったが、相撲では愛知県で優勝し全国大会へ。卒業時には複数の相撲部屋からスカウトがあった程の体力の持ち主。卒業後は野球の名門・愛知工業大学名電高校(主な出身選手:工藤公康投手、イチロー選手など)に入学。甲子園出場こそ無かったものの通算56本塁打をマーク。 地元・中日ドラゴンズに捕手としてドラフト2位で入団。ルーキーイヤーの1987年に米国のマイナーリーグに1年間の野球留学。その後、才能が開花し、プロ3年目で1軍デビューを果たす。 一見、順風満帆な野球人生に見えるが、栄光と挫折を繰り返し、プロ生活を歩み続けてきている。オリックス時代には野球を辞めることさえも考えるほど、選手としてドン底を経験。しかし、恩師となる野村克也氏(元東北楽天監督)との出会いにより再び才能に花を咲かし、チームの主軸として目覚しい成績を残す。 一方、自身の娘の誕生日や、野球教室で訪問した小学校、被災地で出会った少年らとは、その日の試合で本塁打を打つことを約束し、実際に成し遂げることで有言実行の姿を見せている。 2008年に発生した岩手・宮城内陸地震の復興支援として本塁打1本あたり10万円、総額280万円を宮城県栗原市に寄付。同市では感謝の意を込め、栗原市栗駒球場の愛称を「山崎武司球場」としている。また、2011年に発生した東日本大震災では、地元球団である東北楽天の顔として率先して被災地での支援活動を行っている。 2011年、球団創設から7年間袖を通した東北楽天のユニフォームを惜しまれながら脱ぐことになるが、その別れを惜しみ泣きじゃくるチームメイト達に胴上げされ、試合後まで残っていた多くのファンとともに涙した光景は記憶に新しい。記録と記憶、そして心にも残る選手である。 2013年7月に引退を発表。ラストシーズンを最後まで戦い続ける。 引退後は野球解説者・スポーツコメンテーターとして活動する傍ら、講演会の講師やスポーツカーなどの多趣味と豪快なキャラクターを活かして活躍中。また引退後も「いつまでも何かに挑戦していたい!」という思いからOTG TN滋賀(大阪トヨペットグループ滋賀トヨタ/ネッツトヨタ滋賀)のレーサーとしてTOYOTA GAZOO Racing 86/BRZ Raceにも参戦している。 現役時代から慈善活動にも尽力しており、現在も宮城県柴田郡村田町のスポーツランドSUGOで開催されるレースに出場する際には「東日本大震災みやぎこども育英募金」に毎年寄付を行い、また年末には「がんばろう東北!東日本大震災復興支援山﨑武司チャリティーゴルフコンペ」を主催し寄付を行うなど自身が復活を遂げた宮城、東北への恩返しを続けている。 2019年、なごやめし応援大使に就任。好きな「なごやめし」はえびふりゃーと公言するなど、地元の食文化を広めたいとの思いで活動。 2019年7月からは中日ドラゴンズの「スペシャルサポーター」に就任。地域貢献やファンサービスの強化に努めている。 <プロ通算成績> ・プロ27年間で2248試合に出場:403本塁打・1833安打・1205打点 ・本塁打王2回(1996年 中日/2007年 東北楽天)※セ・パ両リーグの獲得は史上3人目 ・打点王1回(2007年) ・ベストナイン3回(1996年外野手/2007・2009年指名打者) ・オールスターゲームMVP2回(6回出場)

◎山﨑武司の著書

「進化」(あさ出版/共著) 「復活力~東北、ありがとう~」(あさ出版) 「リアルジャイアンから悩める君たちへ 」(マーブルトロン) 「今、意味がないと思うことに価値がある」(ベストセラーズ) 「奇跡の超弾道 進化を続ける心技体」(ベースボールマガジン社) 「野村監督に教わったこと 部下は上司で生き変わる」(講談社) 「野村監督に教わったこと―僕が38歳で二冠王になれた秘密―」(講談社)
※その他(A50万円まで、B100万円まで、C101万円以上、Dご相談、交通費滞在費等別)

Special Contents 特集:往年の名選手・指導者の講演

  • 萩野公介

    競泳金メダリスト

    「⾦メダルに繋がった⽬標設定」

  • 瀬古利彦

    「心で走る~復活の軌跡~」

    「心で走る~復活の軌跡~」

  • 内田順三

    元読売巨人・広島カープ2軍監督・野球評論家・野球指導者

    「打てる、伸びる!逆転の育成法 : 「脱・常識」の打撃開花術&心のケア・名選手成長秘話」

  • 攝津正

    元プロ野球選手 、スポーツコメンテーター

    『「努力の天才」で球界を代表する投手に~モチベーションと目標設定、実現のさせ方~』