2024年10月24日
2月11日、野村克也氏が亡くなられました。
野村氏は、1954年、高校卒業後南海に契約金0でテスト生として入団。
現役時代は、戦後初の三冠王に輝くなど沢山のタイトルを獲得し、野球界に大きな功績を残されました。
当時は、「人気のセ」「実力のパ」と言われていた時代で、パリーグはメディアに取り上げられることも少なく、球場は閑古鳥が鳴いている状況でした。
王貞治氏や長嶋茂雄氏に勝るとも劣らない成績をあげても世間は、やはりメディアに取り上げられるONに注目していた時代でした。もし野村氏がセリーグに在籍していたらご自身のことを「月見草」と表現していなかったかもわかりません。
野村氏は、現役時代よりも引退後の指導者になってからのほうがメディアに登場されることが多くなったように思います。現役時代も素晴らしい成績を残されましたが、監督時代にも「ID野球」を駆使し、何度も日本一に輝くなど、その活躍はメディアにも注目されました。
監督を辞められてからは、解説や講演で活躍されました。弊社が依頼させて頂いた講演にも数十回出演して頂き、とてもお世話になりました。
講演の移動中や控え室でお話させて頂きましたが、非常に人情味のある方で、普段と変わらない野村節を聞かせて頂いたことが懐かしく思い出されます。
ご冥福をお祈りいたします。