logo 具志堅用高

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講師名 具志堅用高(グシケンヨウコウ)
肩書き 元WBA世界ジュニアフライ級チャンピオン、タレント
生 年 1955年
出身地 沖縄県
講演ジャンル ボクシング、人生、夢、挑戦、モチベーションアップ
候補に入れる 講演依頼・ご相談

◎演 題

「勝つために私はどうしてきたか!」

◎経 歴

沖縄の石垣島と西表島などに棲息する国の天然記念物・カンムリワシ。狙った獲物は絶対にはずさない。 西表島と向い合う石垣島で生まれ育った具志堅。世界タイトルを獲得した後、 「ワンヤ、カンムリワシニナイン(自分はカンムリワシになりたい)」 と言った言葉が、一躍有名になった。鋭い目、非常なまでに相手を打ちのめす切れのいい攻めは、まさにカンムリワシの異名にふさわしかった。沖縄の興南高を卒業した昭和49年に上京、2年後には早くも世界の頂点を極めて、世間をアッといわせた。 後に具志堅が在位中に作る数々の記録に比べたら、それほど驚くにはあたらないかもしれない。記録男とは、具志堅のような選手をいうのではあるまいか。昭和51年10月、ファン・グスマン(ドミニカ)をKOして世界の王座に就いたのが、9戦目。当時日本の最短戦歴だ。昭和49年5月、プロでデビューして以来2年5ヵ月。期間のうえでも最短記録。昭和54年1月、リゴベルト・マルカノ(ベネズエラ)をKOで退けてV7。これは小林弘(中村)と輪島功一(三迫)の6戦連続防衛を抜く日本新。ジュニアフライ級は当時プロで一番軽いクラス。KOよりスピードが試合の見どころだ。ところが具志堅は、ヘビー級なみのKO劇を演出することが多かった。V3のモンシャム・マハチャイ(タイ)からV8のアルフォンソ・ロぺス(パナマ)まで6連続KO。世界タイトルマッチでのこの記録は、故・大場政夫(帝拳)の3連続を引き放すダントツの数字である。昭和54年の1年間で、V7からV10まで4度防衛。日本の選手で精力的に年間4度防衛をやってのけたのは具志堅が初めて。昭和55年4月、マルチン・バルガス(チリ)をKOしてV12。これはWBCをも含めた当時のジュニアフライ級の新記録。計15度の世界タイトルマッチ経験は、日本の歴代世界チャンピオンの中でこれも最多記録である。昭和51年10月の獲得から、昭和56年4月の防衛失敗までの4年半は、まぎれもなく具志堅時代と呼べる一時期で あった。その輝きのあまりの強さに、国内の諸星はことごとくかすんでしまうという現象さえ起きた。4年半の王座君臨は、これもまた日本記録であるが、その間、持続的に燃焼したというより、爆発的に燃焼したという印象を残しているから不思議である。現在はボクシングジム会長として第2の具志堅用高を育てるべく、ジムで情熱を注いでいる。

◎具志堅用高の著書

※その他(A50万円まで、B100万円まで、C101万円以上、Dご相談、交通費滞在費等別)

Special Contents 特集:往年の名選手・指導者の講演

  • 萩野公介

    競泳金メダリスト

    「⾦メダルに繋がった⽬標設定」

  • 瀬古利彦

    「心で走る~復活の軌跡~」

    「心で走る~復活の軌跡~」

  • 内田順三

    元読売巨人・広島カープ2軍監督・野球評論家・野球指導者

    「打てる、伸びる!逆転の育成法 : 「脱・常識」の打撃開花術&心のケア・名選手成長秘話」

  • 攝津正

    元プロ野球選手 、スポーツコメンテーター

    『「努力の天才」で球界を代表する投手に~モチベーションと目標設定、実現のさせ方~』